また明日会いましょう






必ず来るということのない日を

来ると決め付け

何故、私達はこう云うのでしょうか?

私はこの言葉が嫌いだ。

幼い頃から頭に植えつけられてきた

日常がとても億劫で

廻りが当り前だと信じている毎日が

怖かったんだ。

また明日会いましょう

こう云って私の元を去っていった

あの人は

明日というものが必ず来ると

そう、信じ込んでいた。

あの人にとって

明日は永遠に訪れることはなくなった。

私には

相変わらずの明日が当り前のように訪れてくるのに。

幼い頃から

幼いなりに不安を抱いていた私には

この出来事が更に拍車をかけ

明日の存在を疑うようになってしまった。

廻りと合わせ

毎日この言葉を云い続けることに対し

明日は来ないかもしれない、

という矛盾が起こる。

私の元を去っていったあの人のように

明日が突然になくなり

今日で毎日が終わり

日常が日常でなくなることこそが

いとも簡単に起こりうるのに、

なんで私達はこんなにも簡単に云えるのでしょうか?

私は今でも

この言葉には嫌悪感を覚え生きている。

今日を、明日を生きている。

来ることが必ずと、言い切れない

明日を生きている。

愛しき人と離れる悲しみを

少しでも減らせるように

愛しき人との明日がなくとも

充分に幸せだった日々をあの人と過ごせた、と

笑顔で言えるように

今日を生きるんだ。

また必ず、明日、愛を示せますように

ではなく

今日で終わっても寂しくないよ。

もう充分だよ、

と云える想いを籠めて。

また明日会いましょう。

軽いようで、とても重い言葉。

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